和歌山で自伐型林業スタート(その1)

 先祖の山守り隊・副代表の上垣です。各地で道作りや収入確保など自伐型林業の取り組みが進んでいます。

 

 今回は、私の地域の取り組みについて。いよいよ最初の一歩を踏み出しました。

 

 「私の地域」とは、紀伊半島の高野山の西にある私の先祖の山です。1964年、東京オリンピックの時代に祖父母は一家で山をおりて、町へ移住しました。しかし和歌山県にある先祖の山や土地は手放さず、いまだに所有しておりました。その山で林業、それも低コストで参入できる「自伐(じばつ)型林業」を取り組めないかというのが、今回の私の取り組みです。

 

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 和歌山県紀美野町(きみのちょう)は、「美里町」「野上町」が合併して1万人ほどの人口になった町です。全体の3分の1の人口の旧美里町にその山はあります。山がある、林業をしたいといっても、いったいどこから手を付けたらいいかわからず、教えてくれる人も…。

 

 まずは自分の山がどこにどれだけあるのかを知るために旧美里町にある役場の美里支所に問い合わせてみようと思い電話しました。


 「祖父が山を持っていて、その山の番地が書かれた地図が欲しいのですが」


 「ほいたら、地籍調査課に回しますんで少々お待ちくださいね」大阪弁よりもおっとりした和歌山なまりで応えてくれました。電話に出たのは地籍調査課の上東さん。

 「おお、ヒロノブさんのところの子か。同じ集落やったなあ。どないしたんや。中華料理屋はうまいこといってるんか」ヒロノブとは、私の祖父の名前。祖父母は10年ほど前まで息子とともに中華料理店を営んでいて、上東さんは誰から聞いたのかそのことまで知っていました。

 「これから林業をやりたくて、まずは自分の先祖の山がどうなっているか知りたくて。地図が必要になりました。場所は、『なかんたに』と『いのたに』と…」父から言われたとおりに地名を言っていくと、、、

 「どこやろ、それ。うーん。それは昔の通称やな。うーん」考えてみたら、祖父母や父が暮らしていたのはすでに50年も前のこと。集落で通用していた地名も、今では誰もわからなくなっていたようです。

 

 困ったなとgooglemapの衛星写真をPCで開き、「この角を右に曲がったところ」「川の向かい側かな」と言葉を交わしているうちに、「上垣さんのとこやったら…ちょっとまってな。確か高城谷にあったかな」そういうと、いくつかの地図をみつくろって用意してくれるとのことです。


 ここで問題なのは、どうやって用意してくれた地図を入手するかです。今回、先祖の山守り隊を応援してくれる「トヨタ財団」のプロジェクトで徳島の自伐林家である橋本光治さんを呼ぶことになっていました。その橋本さんが来る9月23日は祝日で役場が休み。

 

「ほんなら紺谷(こんたに)にとって来てもらったらどうや。印鑑もいらへんし」

 紺谷というのは、祖父の姉の一家で、役場から歩いて数分の距離にあります。わかりましたと電話を置き、埼玉の川越に住む父を経由して電話をしてもらいました。父を経由するのは、普段連絡を撮っていない孫の私が突然「山をやりたいから役場に地図をとってきてくれ」といってもさすがにあやしまれるかな、と思ったからです。案の定、親戚がすぐに取りに行ってくれたとの返信がありました。

 

 トントン拍子でテンポよく準備ができていきました。よくよく考えると、遠く離れた地域で暮らす人が地図を入手し、山を見てもらう段取りをつけ、実際に山に入るというだけでも大変なことかもしれません。記憶だけを頼りに対応してくださった上東さんのように、祖父母の世代(80代)を覚えている人もあと数年したらいなくなるでしょう。

 

 さて、これで山を下見する段取りができました。いよいよ、林業の先生である橋本さんとの山の見学の日を迎えるだけです。(その2につづく)

 

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<今回やったこと>
1,役場への【地図】の手配依頼
2,親戚に頼んで【地図】を入手
3,講師の橋本さんとの日程調整

 

《余談》

 今回は、中山間地域というのが濃密な人間関係で成り立っていることを実感しました。役場の職員さんは、わずかの時間で電話 口に立つ私の身辺事情を自然と聞き出して、間違いなく「ヒロノブ」の孫であることを確信していました。これが人と人との関わり合いができる地域の範囲であり、全国の「平成の大合併」前の役場の姿なのかもしれないと思った次第です。